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被害者の主張victim's insistence

”息子が受けたいじめと安全配慮義務の必要性” (大澤秀明 会代表)

1996年01月22日

秀猛は大分県の山間の町、目の前には、清流で有名な番匠川。
自然ゆたかな場所でのびのびと育ちました。

思いやりがあり、小さな子供の面倒をよく見て、友達からもしたわれていました。
学校ではムードメーカーでもありました。
「福岡に行ったら、友達をたくさん作りたい」と小学校の卒業文集に書いていた秀猛。
しかし、夢と現実は大きく違いました。

遺書には、


お父さんお母さんごめんなさい。
僕がこの町にきて中一の初めの日、●●君に後ろからつっつかれたり、蹴られたりされて、ついに怒って「いいかげんにしろ」と言った。そうしたらなかされた。その日からずっと泣かされつづけた。毎回先生にいったら●●もおこったが、僕が口が悪いと言われた。
そして2年になって口の悪いやつがいて、そいつが、いってもないことをいつも■■君に言いつけ、なぐられつづけた。
3年になり1学期は、何もおこらなかったので、今年は何もないだろうと思っていたら、2学期の初めの日に、▼▼に、強い人がおまえに、スーパーファミコンを持って来いと言った。と言って来た。初めは逃げ回っていたがスーパーファミコンぐらい、いいと思い、わたした。そして今度は、お金を要求され、初めはわたさなかったが、うでをおるぞと言われて、わたしてしまった。そしてずっとお金を取られ続けている。いま30万円くらい取られている。
また、お金を要求された。しかしそのお金がないので死にます。


自殺を知った時、私は信じられませんでした。
いじめられていた事を知ったのは、秀猛の命と引き換えでした。自殺した時、私達はただ呆然としていました。手がかりは遺書だけでした。その日担任の田原先生と校長が来ました。
子供の死を受け入れるだけでも大変なのに、まして自殺。何でなのか思い込んでいる私に、「昨日、秀猛君はニコニコしながら牛乳瓶の整理をしていたのになんで自殺したのか分かりません。」
まるで人事のように田原先生は言いました。遺書が無いのならともかく、”入学式の日からずっといじめられ続け、恐喝され、金がなくなり死にます。”と書いてあるのに、納得がいかない私は葬式を出す気持ちになれず葬式を一日延ばしてもらいました。

次の日、再び校長先生と担任の田原先生が来ました。
しかし、昨日と同じ答えです。遺書の内容は、すぐに伝えてあるのに、”教え子を死なせてしまって申し訳ありません”とか、”残念”という気持ちは何も伝わってきませんでした。私は怒りがこみ上げて来ました。

校長と田原先生に秀猛の死に顔を見て欲しいと言いました。首をつって死んだ我が子の目をむいた顔を見ると無残でした。
田原先生はギクッとして顔を背けましたが、校長は顔色一つ変えず平然としていました。”この校長は一筋縄ではいかない”そう思った私は葬式が始まる前、寺の控え室で、校長と話しをしました。
控え室で私は校長に、「遺書に名前が書いてある。分かっている生徒を連れてきて欲しい。焼香して事実をすべて話し、謝ってくれれば全て忘れたいと思います。」と頼みました。校長は私の手を両手でしっかりと握って、「わかりました。明日連れてきます。」と約束しました。
次の日にきた校長に、「昨日約束したように、一日も早く遺書に名前の書いてある生徒を連れてきて欲しい」と願う私に校長は、「警察の取調べに任せましょう」と言ったのです。私は驚きました。

校長は、いじめが無くなるように努力すると言っておきながら原因究明もしないのですか?、「警察と学校では調べる事が違うでしょう」と言っても、校長は聞く耳は全く有りませんでした。

何日か過ぎた頃、担任の田原先生と、いじめ担当の菊池先生が平然とした顔で来ました。

私達はその時、秀猛が何で自殺したのか、家族一人一人が思い悩んでいました。小学校2年のヒロは、あの日猛兄ちゃんは、小さな声で「行ってきます」と言った。
いつもは大きな声で、「行ってきますと言ったのに・・・。
カセットを売りについていった事がある。あのお金も取られていたかもしれない。お母さんに言えばよかった。と言って泣きじゃくりました。
そんな中に二人は来たんです。
私達の泣きはらした顔を見れば、どんな状況かわかるはずなのに「二人は秀猛君の遺書には●●はいじめたと書いていますが、●●はケンカだと言っています。」と遺書に書いている事を否定しに来たんです。
私はただ呆れて、勝ち誇った様な先生達の顔を呆然と見詰め合っていました。

2月11日、恐喝した主犯のA、手下のB、二年の時殴り続けたM、3組の親子、9人が話し合ったように来ました。
不思議だなと思っていると、主犯の母親は「もう少し早く来たかったんですが、学校から行くのを待ってくれと言われました。」
私は驚いて言葉が出ませんでした。
校長は葬式の時、すぐ警察も連れてくると約束しておきながら20日余りも行くのを止めていたなんて・・・。
後で分かった事ですが、3人の送検は免れないと思った学校は、3家族に行くように言った様です。
主犯の母親は私の所に来る度に、目の下のクマが大きくなっていきました。
警察で取り調べの時、自分の息子がどんな惨いいじめをしたのか、目の当たりにしたからでしょう。
最後の頃は目の下は真黒になっていました。

そんなある日、その母親は、「今日警察に行ってきました。学校はいじめも恐喝も知っていました。学校から注意が有ったのは、茶髪の事とボンタンズボンのことだけでした。もし、いじめや恐喝のことを教えてくれていたら止めていました。”命を懸けて止めました”」と言いました。その顔は真剣でした。そして、「止めていたら秀猛君は自殺に追い込まれなかったはずです」と嘆きました。

その頃から加害者は秀猛の自殺と向き合い始めました。主犯の生徒は”本当に悪い事をした”と謝りました。
手下の生徒は「僕があんな惨いいじめをしなかったら、あそこまで追い詰めてお金を取らなかったら自殺しなかった。」と泣いて謝りました。
私にとっては、なぶり殺しにしても飽き足らない加害者が目の前に居るだけでも耐え難いのに、秀猛が苦しみを受け自殺に至った経過を聞く事は身を締め付けられる思いでした。
本来なら学校が何があったのか調べて反省させ、導くのが当たり前なのに、被害者の親である私が、なんで導くとこまでしなければならないのか悔しい思いでいっぱいでした。
文部科学省、教育委員会は、”命の尊さ”、”命を断ってはなりません”と子供たちの自己責任の様に発表しました。
学校は自殺したその日に”いじめは無かった。気が付かなかった。”と発表しました。それを聞いた回りの人達は、”死ぬ程子供が苦しんでいたのに、どうして親が気付かなかったのか、家庭の問題、自殺した子供の自己責任、保険金欲しさに親が殺した。”とありもしない噂を立て、私達に追い討ちをかけました。

その頃の妻はとても危険でした。洗濯物はそのままにしたり、遺骨の前に座り込んだり、家にいないので探しに行くと、秀猛が自殺した水間の前でたたずんでいました。目を離すといつ自殺してもおかしくない状況でした。
ある時は、突然仏壇の鐘をチンチンならして、「どうして、どうして」と大きな声で叫びました。それには訳がありました。秀猛が生きていた時、私達は学校を信じていました。1年の家庭訪問の時、秀猛は母親の前で担任の田原先生に、「僕いじめられている。」と訴えました。驚いた妻は、田原先生に、どういう事か尋ねました。田原先生は、「大分から越して来たばかりで言葉が違います。小学生気分が抜けていません。しばらくしたら中学生活に慣れるでしょう。」とトラブルの説明をしました。先生を信じていたのに、あの時の説明は嘘だった。その証拠に遺書には実名を挙げて、いじめられていた事が書いてある。先生に何回かいじめを受けている事を言った事も書いてある。授業参観に行った時、「だいじょうぶでしょうか?」と先生に聞いた時も、「秀猛君は今校庭で友達と仲良く遊んでいます。」と言った。「いじめは無い。」と言った。あれも嘘だったのか。
どうして、どうして、先生を信じていたのに・・・。
あと一つは、秀猛に対してである。死ぬ程にまで苦しんでいたのならどうして親である私に打ち明けてくれなかったのか、どうして、どうして、である。

後で分かった事であるが、警察の調書を見ると、家庭訪問の後、いじめが過酷になっている。親にまでチクッたと酷くなっている。よく恥ずかしいから親には言わないと言うが、私達みたいに、いじめる人が良くないと教えていれば訴える。私達の子供の頃は、いじめる人を先生はきつく叱った。いじめる生徒は許さなかった。先生が生徒を守ってくれたから、生徒は安心して先生に訴えた。小さい子供が母親に訴えるのは、”母親が悪いことをした子だけを叱って、子供を守る”からである。

親友のミカちゃんは、「秀猛がいじめられている時、先生に言ったが、先生は何もしてくれなかった。秀猛が殴られている時、男と男の間に体を張って秀猛を守ろうとしたが、”男のケンカに口を出すな」と言われ、「女の私ではどうする事も出来なかった。」と言った。先生に「今、秀猛君がいじめられている。殴られている。早く助けてください。”と頼んだけど、”後で言っておく”と言って”先生は助けてくれなかった。”もう先生はどうする事も出来ない。もうこれまでかと諦めるよりしようが無かった。」とミカちゃんは肩を落として話してくれた。

警察の調書で上村君は、秀猛君が金を取られていると深刻な顔で相談してきた。驚いた上村君は、”先生が親に言った方が良かっちゃなかと”といったら、秀猛は、”先生は何もしてくれんもん”と寂しく言ったと調書に書いてある。

いじめはいじめる人だけが絶対に悪い。いじめは辞書に、”自分より弱い立場にある者に、わざと苦痛を与え楽しむ”と有ります。

いじめは相手が自分より弱い・抵抗しない相手にしか出来ない、卑怯な行為です。おまけにいじめで困った相手を見て楽しむわけですから悪趣味で、通常の人間では出来ません。犯罪行為です。もっとも軽蔑される行為、それが「いじめ」です。

小学生の低学年でもいじめが悪い事は皆さん分かっているように、いじめはしてはいけない、絶対に許されない事なんです。
しかし、どこがどうして許されないかまで知っている人はすくないのではないでしょうか?
辞書には、”自分より弱い立場にある者に、わざと苦痛を与え、楽しむ”
いじめる人は自分より弱い人にターゲットをしぼり、抵抗しないであろうと思われる人にしか出来ない、最も卑怯な人です。抵抗できない、抵抗しない相手を叩いたり、蹴ったり、ばい菌扱いして、汚い、臭い、触るな、近づくな と有りもしない事を言って、苦しめ、苦しんでいるのを見て楽しむ、最も悪質な人です。
いじめは犯罪です。おまけに苦しんでいるのを見て楽しむ訳ですから同じ犯罪者でも、許せない犯罪者です。

私の子供の頃は、いじめる生徒は、”いじめっこ、いじめっ子”とバカにされ、軽蔑されました。
いじめは、私の子供の頃にも有ったし、そのずっと昔から有りました。泥棒や強盗がなくならないのと同じで、今後も人間が居る限りいじめは延々と続くでしょう。
しかし、いじめは止められます。止める事が出来ます。私の子供の頃は、いじめる生徒がいると、先生はいじめる生徒を絶対に許しませんでした。喧嘩だったといい訳しても先生は決して騙されませんでした。
何もしない人を叩いたり、嫌な事や、有りもしない事を言えばいじめだ。そこには何の妥協もありませんでした。先生は怖かったけど、頼もしかった・私達を守ってくれる。先生を親も生徒も信頼しました。
いじめを受けてる生徒が助かったと思えるのは、先生がいじめを止めてくれることです。私の子供の頃は先生は、いじめを止めました。しかし今現在、先生はいじめる生徒、いじめられるた生徒に対して、トラブルとして互いに仲良くしなさいの指導をします。

秀猛の場合遺書には、いじめた●●も怒ったが、僕も口が悪いとおこられたと書いてあります。
鹿児島の船島君も同じで、いじめた生徒も怒ったが船島君に対しても、「おまえも悪いから謝れ」と先生に言われています。船島君は席にもどってポツリと、「もうこれで終わりだ」と呟いたのを、隣の席の同級生が聞きました。その後船島君は自殺しました。秀猛も船島君も、喧嘩両成敗の”指導”です。いじめた生徒だけを、ダメ、許されないと措置しない限りいじめは止りません。
いじめられている生徒にとって、助かったと思えるのは、先生がいじめを「止めてくれる」事です。それが”安全配慮義務”にある措置です。母親は兄や姉が、妹や弟をいじめていたら、そんな事をしたらダメときつく叱ります。時には、お尻をぶたれたり、それが、しつけけです。措置です。教室でいじめが起きたら、先生はいじめた生徒だけを立たせて、ダメだ、許されない事だとして叱り、措置をする。他の生徒には、いじめはしないよう、人が困るような事はしないように指導をする。度重なっていじめたり、暴力を振るえば児童相談所に送ったり、警察に届けたりする。それが学校が当然すべき措置です。

私の子供の頃、学校では手に追えない生徒が居たらそうしていました。先生はいじめる生徒から守ってくるから安心して先生に訴えました。
子供が母親に訴えるのは、母親は子供を守るからです。今現在いじめ問題で一番困っているのは、いじめ不登校・いじめ自殺です。私の所に来ている数多くのいじめの相談は、先生に訴えても、いじめを先生が止めてくれない事です。
先生がいじめを止めなければ、いじめを放置した事になります。いじめはエスカレートしていきます。いじめは許されると勘違いした回りの生徒も加わって行くので、いじめは深刻になって行きます。このようになっていった状態を、秀猛の裁判の判決では、一年の入学式の日から2年10ヶ月、先生がいじめをいじめと捕らえない為にいじめは深刻になっていった。3年の二学期からの恐喝は悪質であった。秀猛は、そのいじめから永久に逃れる手段として自殺した。と認定されました。
秀猛をいじめ、恐喝をした生徒二人は送検され犯罪者になりました。秀猛を自殺に追い込んだわけですから賠償もする事になりました。ひどくいじめた生徒21人は警察から厳重注意をされました。いじめた生徒は逃げられませんでした。”しかし、秀猛は戻ってきません。”

秀猛に限らず多くの自殺した遺書のメッセージを読めば答えは見えてきます。
秀猛が自殺する半年ぐらい前に自殺した同じ福岡県の的場君は、「これは自殺じゃない、”他殺だ”お父さんお母さん、天国から僕は見ているから墓参りに着てね」とこの世に未練を残して自殺しています。
東京都中野区立・富士見中学校2年生の鹿川裕史君は、自分の死でいじめが止まるように願って書いた遺書には「俺が死んだからって、他のヤツが犠牲になったんじゃ意味ないじゃないか」と書いています。
秀猛の遺書には、どうして自殺に追い込まれたのかを書いてある。先生がいじめを、いじめと捉えないで、喧嘩として両成敗した事、それが原因でいじめが深刻になっていった。遺書には書いてないが警察の調書にある90%が殴る蹴るの暴行、恐喝、性的行為の強要、自慰行為、つまりマスターベーション。家にまで押しかけてきている。秀猛は親の金を取ることはできない。性的辱めに耐え切れず、遺書には、「またお金を要求された。お金がないので死にます。」と書いて自殺しました。

いじめは止められます。いじめた生徒だけを、ダメ、許されない、”みんなの前で叱り”措置すれば、いじめはそこで止まります。しかし、今現在文部科学省は、いじめがあっても、トラブルとして「仲良くしなさいの指導」をするように指示しています。

学校で事件・事故が起きれば教育委員会に事故報告書を出す事になっています。
報告書の中の校長の見解には、
一年の時、確かにいじめは有った。しかし、指導の結果仲良くなったと思ったが、その後もいじめが続いているのに気付かなかったのは、先生と生徒の信頼関係が無かった為である。そのことにおいて教員一同深く反省している。と有るようにいじめた生徒に指導しても、効き目が無い。いじめられた生徒からは信頼関係が無くなる。と校長は文部科学省に助けを求めているように私は思えてなりません。

指導ではいじめを解決できない事を多くの先生達が解っています。その事において苦しんでいる先生は多いでしょう。私達、全国いじめ被害者の会は、先生達が、いじめる生徒を措置する事が正しい。安全配慮義務を先生は守って措置しなさいと文部科学省が命令するように、文部科学省に申し入れをしたり、各政党にお願いをしています。

先生という仕事は本来は夢があり、素晴しい仕事です。素直な生徒、ひねくれた生徒、言葉を変えれば丸い玉を磨けばピカピカ光らせる事ができます。荒削りのデコボコした石も角をとれば丸くなっていく。みんあから感謝され、尊敬される職業です。
先生達が一日も早く安全配慮義務を守って、いじめる生徒を措置できるように、私達全国いじめ被害者の会は活動しています。
安全配慮義務を先生が守るという事は、いじめが有れば保護者には必ず伝えるという事ですから、私達のようにどうして自殺したのかさえ解らない親は居なくなります。
私の子供の頃は先生が普通に安全配慮義務を守っていたので、いじめが有ってもいじめは深刻になりませんでした。

だからいじめ不登校、いじめ自殺は出ませんでした。そもそもいじめ不登校、いじめ自殺と言う言葉が有りませんでした。

しかし、いじめる子は必ず出ます。生徒の皆さんは、いじめにあったら先生に相談したり、訴えたりすると思います。
しかし秀猛のように訴えても先生が、いじめた生徒のいじめを止めてくれなかったら、親に訴えてください。

いじめる生徒は、弱い立場の人、抵抗しないであろうと思う相手にしかしない、卑怯で卑劣な人です。

いじめはいじめる人だけが絶対に悪い。
いじめられても恥じることはありません。
恥じるのはいじめる人です。

親は君がいじめられているのに気付かなかったら、一生悔やみます。
恥じも外聞も捨て、親に相談してください。分かるまで何回でも。
回りの見ていた生徒は先生に報告するだけでなく、いじめられている生徒の親に教えて下さい。
いつどこで○○君がどういういじめをされていた。無記名の手紙でも構いません。
FAX、TEL、あなたの一言で、
友達が、同級生を助ける事が出来ます。
今度は君が助けてもらうかもしれません。

秀猛の親友だったミカちゃんの手紙を読んでみます。


タケ君へ

もうこの手紙は あなたの手元には届かないけど書きます。
私とタケ君が初めてあったのは 中三になった時でしたね。
お互い知らないもの同志が隣同士でつい何を喋ればいいかわからないで、
何日かたった時 タケ君から 「ここおしえて!」が、私達がはじめて喋れたきっかけでしたよね。
それから毎日 TVの話やファミコンの話やニュースや社会の人達の話などしましたね。
今ではその顔が夢の中に毎日でてきます。
私達は ずっとずっと席替えしても隣同志でしたよね。私 タケ君がいじめられている所、見て私は女だし その時男の子にいじめられたから
とめることは出来なかったから、ちゃんと先生に言ったんだよ!
タケ君は給食委員で、当番になるたんびに一人でやっていたんだよ。
タケくんも遊びに行きたかったのにね・・・。
私 先生に「タケくん 助けて!、タケくんかわいそう!一人で当番されるなんて!
タケくん いじめられてるよ!」ってタケくんになにかあるたびに私は言いに言ったのに・・・
先生を信じた私が馬鹿だったね・・・。ゴメンね!
こんな私をゆるしてね・・・
タケ君が亡くなった後に言う私も・・・
タケ君 そっちはどう? たのしい? 幸せ?
幸せだろうな・・・天国行ったから もう いじめられないんだもんね!
私 タケ君が出来なかったこと やれなかったことを
私がタケ君の分も一緒にやるかなね!

    もう届かぬ秀猛くんへ



大沢さんへ
秀猛君が亡くなって9ヶ月経ちますね。 やっと私も元気になりました!
もう毎日毎日が苦しかったです。自分がまだ生きていることが不思議なくらいです。
私は小学六年から中学卒業までずっといじめられてきました。
毎日学校に行くのが嫌でした。でも親には迷惑をかけたくなくて何があってもがんばって学校に行きました。
中学3年になったとき、いつも1人であった私に 秀猛くんが話しかけてくれました。
私は秀猛くんに声を掛けてもらえなかったら今ごろ私は死んでたでしょう・・・
でも、私は 秀猛に命を救ってもらいました。秀猛君には感謝しなきゃいけないことが、やまほどあります。それなのに・・・ 秀猛くんは、私以上に苦しんでたんだなって考えるともう胸が苦しくてたまりません。 今 秀猛君は生きていないけど私の心の中で笑っている秀猛君がいつもいつも助けてくれます。
もう秀猛君には合えないから ご両親にお礼を言わせてもらいます。
    ありがとうございます。

もうちょっと 私がしっかりしてたらよかったのに・・・ すみませんでした・・・


いじめはいじめる人の責任です。
相手のせい、大人や回りのせいにする事は出来ません。

皆様は今後、いじめは絶対にしない。してはいけない。と約束してください。

これで私の話をおわります。



NPO法人 全国いじめ被害者の会

〒876-0845
大分県佐伯市内町2-30
代表:大澤秀明

TEL/FAX 0972-23-8372


出版物


”いじめは止められる!”わが子を死なせないための「安心の処方箋」「全国いじめ被害者の会」大澤会長著 発行:エビデンス社 発売:創英社・三省堂書店 1575円
「全国いじめ被害者の会」
大澤秀明 著

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