2009年02月14日
秀猛の裁判では、《一年の入学式の日から2年10ヶ月、教師が「いじめ」を「いじめ」と捉えないで放置したために「いじめ」は深刻になっていった。3年の2学期からの恐喝は悪質で残忍であった秀猛はその「いじめ」から永久に逃れる手段として自殺した》と認定した。
いじめが継続するのは先生が「いじめ」と解っていながら放置するために「いじめ」は深刻になっていくことがよく解ります。秀猛は先生に何回か「いじめ」を訴えています。親友のミカちゃんも秀猛(タケ)がいじめられているときに、先生に何回も訴えています。ある時は「今、タケ君が殴られているから助けて」と言っても担任の田原先生は「後で言っておく」と言ったそうです。「もうこれまでか」と諦めたとミカちゃんの手紙には書いてありました。「先生を信じた私が馬鹿だった」とも嘆いていました。友達の山田君は警察の調書に「秀猛君が金を取られている」と言って来た。驚いた山田君は「先生か親に言った方が良いよと言ったら、秀猛君は寂しそうに『先生は何もしてくれん』と言った」と話しています。ミカちゃんの「先生を信じた私が馬鹿だった。秀猛の先生は何もしてくれんもん」。先生は助けてくれるとものと思っていた生徒達がどんなに落胆した事でしょうか。
秀猛がどんなに苦しんだのかが解ります。秀猛の自殺後、秀猛の中学校での生活を知りたかった私は友達の家を訪ねました。ほとんどの生徒が身を固くしていました。親しい友達ほど頭をたれ畳を見たまま顔を上げませんでした。私が聞いたことだけにボソボソと答えてくれました。ミカちゃんと同じで秀猛を助けきれなかった悔しさが、見ているだけでひしひしと伝わってきました。いじめた生徒、放置した担任、学校全体、教育委員会、文科省への恨み、世の中の冷たさ。私が最後にたどり着いたのは、私たちと同じような目に会う人達、秀猛と同じ苦しみを受ける生徒自殺者を無くすにはどうしたら良いのか?に気持ちを切り替えました。
時は経ち、2007年3月15日、文科省、各政党を安全配慮義務の徹底を訴えて回りました。ただ、自民党は「いじめ被害者の会は対応できない」と断られました。断られた理由ははっきりしています。安全配慮義務を突きつけられると答えられない事と文科省が悪いのは明らかだから、その責任を与党である自民党は逃げ切れないと考えたのでしょう。文科省はこの20年の間に児童、生徒を何千人殺してきた事でしょうか?女子生徒の性的いじめで精神に異常をきたした生徒は数多くいます。いじめは無かったことにされ、狂言者扱いされると普通の子でも悩み精神に障害を起こします。いじめ被害者の多くはまじめな子が多く、いじめで精神障害者になった親から多くの相談が来ます。
不登校を考えても2008年の文部科学省が発表した129,425(約13万人)いじめから逃れるための保健室登校、支援教室、フリースクール、通信教育等を入れると何十万人になるのでしょうか?その他、不登校後に引きこもり10から40歳台の人たちだけでも、あと1ケタ多い数字のはずです。今までのいじめ被害者を合計すると何百万人、いや1千万人は下らないでしょう。国が賠償する事になったら、薬害問題の損害賠償のケタ違い何十兆になるでしょう。自民党、文科省がいじめの問題に本気で取り組めないのは、国民をだまし続けた事もさることながら、賠償責任があるからです。
2007年3月15日 文科省、その後民主党、社民党、共産党の順で回りました。民主党、社民党はただ聞くだけでしたが、共産党は違いました、志位委員長、石井副委員長をはじめ議員さんたちが対応してくださいました。私の説明を聞いた志位委員長は「私は今までいじめ問題は、子供が子供をいじめるんだから子供に大きな責任があると思っていましたが、これは大人の責任です。文科省、教育委員会の責任です。しかし私は政治家です。この責任を最も重く受け止めます」と多くの報道陣の前で言われました。
昨年2008年12月、自民党をはじめ各政党を回りました。自民党の馳浩文部科学部部会長は開口一番「文科省の悪口を言っても始まりませんから」で始まりました。ある議員は日教組がどうのこうのと訳の解らない事を言っていました。数多くの政治家に会って共産党の志位委員長の立派さだけが心に残っています。きっぱりと「いじめ問題は大人の問題、それも文科省、教育委員会、政治家にも責任があります。」と言い切りました。政治家はこうあって欲しいものです。(次に続きます)
☆いじめの相談は、代表 大沢秀明が電話、ファックスで直接受けています。希望によっては学校、教育委員会に代理で交渉します。場合によっては、学校、教育委員会、文部科学省、各政党に直談判に行きます。あなたの家に行きます。講演依頼は早めにお願いします。