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被害者の主張victim's insistence

いじめを無くすための今後の課題


文部科学省と何度かやり取りがありました。
最後は6月30日の午前中に送り、当日夜8時に間違いありませんという確認の電話が、郷治生徒指導室長からあり、数字の一部訂正(不登校生と適応指導教室の人数)のファックスがきました。不登校生と適応指導教室の人数の相違はありますが、文部科学省と確認したのが下記の文章です。


いじめを無くす為の今後の課題

平成23年5月10日

文部科学省初等中等教育局児童生徒課
             清重 様

※昭和22年、教育基本法・学校教育法が作られた。それから30年あまり、教育者は、いじめはいじめと捉えていた。加害生徒だけを教室の中でみんなの前で立たせて、措置をしていた。小学校4〜5年頃になるといじめをしたらダメ、許されないことを学んだ。中学生になる頃には、よほど愚かな生徒でなければ、今現在のようないじめはしなかった。教師に限らず大人たちはいじめは許さなかった。それが昭和50年前半あたりから変わってきた。いじめをいじめと捉えない。ケンカ、トラブルとして、“仲良くしなさいの指導”。
 秀猛の自殺後、城島中学が福岡県に出した事故報告書の中の校長の見解には、1年の時、確かにいじめはあった。担任の“指導の結果仲良くなった”と思ったが、とある。
 いじめられた被害者にとって、先生がいじめを止めてくれることが大切で、いじめを止めてくれないかぎり助かったとは思わない。先生がいじめを止めて、加害生徒が謝って、はじめて被害者は加害生徒を許せる気持ちになる。それから時間が経てば仲良くできるかもしれない。加害生徒を“措置していじめを止めない”で、仲良くしなさいは成り立たない。
 一方加害生徒側を教育的観点でながめた時、性行不良・授業の妨げ等をする、つまり、いじめ等をする生徒には、学校教育法の第11条、26(現35)条にある、懲戒、懲戒処分、出席停止の措置を更生のために行うことが教師に課せられている。それは、未熟な生徒を真人間にするために措置をして導くということである。
学校教育法ができて30年あまり、昭和50年初めまでは、先生はいじめた生徒を措置していじめを止めていたので、いじめは深刻にならなかった。いじめ不登校、いじめ自殺者は出なかった。そもそも、いじめ不登校、いじめ自殺という言葉がなかった。それは歴史が物語っている。
秀猛の裁判の判決の認定には、1年の入学式の日から2年10ヶ月教師がいじめをいじめと捉えないために、いじめは深刻になっていった。3年の2学期からの恐喝は悪質であった。秀猛はそのいじめから永久に逃れる手段として自殺した、とある。
教師がいじめをいじめと捉えず、ケンカ、トラブルとして仲良くしなさいの指導をすることは、一見、いじめ被害者だけが犠牲者のように見える。だが、はたしてそうなのだろうか。
私は加害生徒も被害者だと思う。加害生徒であれば当然、“更生のために措置”をされて導いてもらわなければ真人間にはなれない。加害生徒の保護者も我が子が悪いことをし、人に迷惑をかけていることを学校に教えてもらわなければわからない。人様に迷惑をかけないように、しつけることはできない。いじめをいじめと捉えない、どんなに訴えても調べてもくれない、加害生徒に対していじめを本当にやめるまでの措置をしない、この中心点を改めなければ、どんなに正しそうな言葉を並べても、ごまかしとなる。このことを知っていただきたい。
たとえば、「教育関係者必携」の中にある「教育振興基本計画」39ページを引用すると、

◇いじめ、暴力行為、不登校、少年非行、自殺等に対する取組の推進
 いじめ、暴力行為、不登校、少年非行、自殺等への対応の推進を図るため、問題行動を起こす児童生徒への毅然とした指導を促すとともに、未然防止、早期発見・早期対応につながる効果的な取組や関係機関と連携した取組、いじめられている児童生徒の立場に立った取組を促進する。その際には、非行防止教室の開催、スクールサポーターやサポートチーム、外部の専門家等からなる「学校問題解決支援チーム」などを有効活用する。また、教育相談を必要とするすべての小・中学生が適切な教育相談等を受けることができるよう、支援するとともに、自殺防止に向けた取組を支援する。

とある。この五つの項目、いじめ、暴力行為、不登校、少年非行、自殺をA、B、Cの三つに区分けする。

A、暴力行為、少年非行
これは同列にできる。
B、いじめ
辞書にあるいじめと定義上のいじめは大きく違う。辞書のいじめは、“自分より弱い立場にある者にわざと苦痛を与え楽しむ(以前は快感を味わう)”とあり、定義上のいじめ@自分より弱い立場にある者に対して一方的にA身体的・心理的な攻撃を継続的に加えB相手に深刻な苦痛を感じさせているである。(深刻に受け止める※平成18年変更)定義にあるようないじめに発展するのは、教師がいじめをいじめと捉えず、止めないために継続して深刻になった場合である。いじめは先生が止めて継続を断ち切れば、“犯罪”には発展しない。私の子どものころは、先生がいじめを断ち切っていたので“犯罪”にはならなかった。
C、不登校、自殺
“いじめ被害者の会”は平成18年10月29日に発足して4年半になる。相談件数が1万を超えた。不登校、保健室登校の大半はいじめの被害によるもので、適応指導教室に行っている児童生徒のうちほとんど100%と言っていいぐらいの人がいじめによる被害者である(不登校13万人、保健室登校10万人、適応指導教室30万人、計53万人が義務教育を受けられないでいる)。加害者側の250〜350万人ともいわれる生徒たちは措置もされず導かれもせず放置されている。虐待で死亡のニュースはあるが、虐待で自殺したというニュースは聞いたことも見たこともない。子どもの自殺のほとんどはいじめ自殺である。つまり、Cの不登校、自殺の項目にあてはまる児童生徒は被害者である
 
 Aの少年非行、暴力行為をするひと、Bの先生の対応の悪さのために加害生徒になったひとと、Cの被害者を同列に並べるのはおかしい。しかし、“いじめはなかった”という、いじめ不登校、いじめ自殺の原因をわからないとする、ごまかしのためであればうなずける。いじめはない、深刻な生徒はいないのにどうして不登校になったり、自殺をするのか、困った問題だとするために、「問題を起こす児童生徒」とひとまとめにせざるを得なかったとしか考えられない。いじめをケンカ、トラブルとしてあいまいにしたのと同じ考え方である。

上記の引用文について、問題点を五つにわけて書く。
1. 問題行動を起こす児童生徒への“毅然とした指導”とあるが、法律では第11条、35条に“措置”とある。“毅然”をつけても指導は指導である。大人は“罪の償い”、子どもは“更生”のためであるから、“毅然とした指導”でごまかしたいのもわからないでもないが…。
処置、処分、措置は同意語であり、いじめが三要件に当てはまる場合、加害生徒を第11条、35条にしたがって“措置”するようになっている。しかし、いじめる生徒の措置はあくまで生徒を更生させるためのもので、処罰ではない。真人間にするために導くためのもの、そう考えていくと措置は指導の一環であることはわかるが、措置を抜いた更生、指導は成り立たない
 “毅然とした指導”は一見立派な言葉に聞こえるが、いじめ加害者に対していじめをやめるまで措置するという内容がはっきりしていなければ、何の意味もない。ましてや、いじめをなかったことにするような指導ならば、法律違反とさえ言えるのではないか。いじめをなかったことにするから、措置を使えない無理な指導になった。
 いじめ不登校、いじめ自殺の相談者の100%はいじめを教師が放置したために起きている。したがって、問題行動を起こす児童生徒の中に犠牲者を非行少年たちと同列に置くことは遺憾であると同時に、どうしてそうしなければらないのかがこれから見えてくる。
2.  未然防止、早期発見・早期対応につながる効果的な取組や関係機関等と連携した取組、いじめられている児童生徒の立場に立った取組を促進するとあるが。
 平成19年12月、北海道と北広島市の教育委員会に、被害者と行った。学校が調べもしないので調べるように頼んだ。それに対し、調べられません、最終的には調べませんと言い切った。それも記者がいる前である。
 平成20年、その北海道の被害者と他50名くらいで、そのことについて文部科学省に、教育委員会に調べるように言ってほしいとお願いに行った。文部科学省は“気をつけるように言います”と、とんちんかんな答えであった。同行していた政治家は、「あなたたち、被害者が何を言っているかわからないの。官僚言葉ね」と嘆いていた。訴えても調べもしない、いじめをいじめと捉えない。学校、教育委員会、文部科学省が未然防止、早期発見、早期対応をうたうのは、絵に描いた餅よりひどい。
 平成19年、47都道府県を回ったとき、教育長たちは早期発見を叫んでいた。私はそのたびに“信頼関係”が大事です、と説明した。私の子どものころは、先生はいじめに限らず加害行為をする生徒をしかり、措置して被害者を守っていた。先生は生徒を守ってくれるから、生徒は安心して先生に訴えた。いじめに気がつかなかったという先生はいなかった。気がつかないということは、生徒たちから信頼されていませんと自ら言うのと同じ、教育者としての恥を知っていた。そのころにはアンケート調査はなかったし、その必要がなかった。いじめの早期発見という言葉もなかった。
3. 非行防止教室の開催、スクールサポーターやサポートチーム、外部の専門家等からなる「学校問題解決支援チーム」などを有効活用するとあるが。
 暴力行為、少年非行の場合、学校で手に負えないときには、児童相談所、警察に連絡する。身体、精神に攻撃を加える加害者を放置すれば、暴力行為は激しくなる。許されると思うから、非行に走る場合もある。そう考えたとき、いじめがあっても暴力行為があっても見て見ぬふりや放置をしておいて非行防止教室の開催などは到底理解しがたい。
4. 教育相談を必要とするすべての小・中学生が適切な教育相談等を受けることができるよう、スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカー等の活用など教育相談体制の整備を支援するとあるが。
 “教育相談を必要とする”とあるが、教育のことを辞書には“一般的な知識や技能の習得、社会人としての人間形成などを目的として行われる訓練”と書いてある(あとは詳しく書いてあるので読んでほしい)。
 今現在、学校では今まで述べたとおり一般的というか当然のことをしていない。いじめをいじめと捉えない。どんなに頼んでも調べもしてくれない。いくらスクールカウンセラー等を配置しても、肝心の学校の姿勢がいじめをなかったことにしてしまうようなものであれば、子どもは救われないし国費の無駄遣いになってしまう。
5. 最後に自殺防止に向けた取組を支援するとあるが。
裁判で安全配慮義務違反として認定されるのは“教師がいじめをいじめと捉えないためにいじめが深刻になっていった”。秀猛の場合、“入学式の日から2年10ヶ月教師がいじめをいじめと捉えないためにいじめが深刻になっていった。3年の2学期からの恐喝は悪質であり、そのいじめから永久に逃れる手段として自殺した”と認定された。
これは日本の国の裁判の判決である。
いじめをいじめと捉えなければ、いじめた生徒を措置することはできない。いじめの継続を断ち切らなければ、いじめは深刻になっていく。深刻になれば、いじめから永久に逃れる手段として、自殺。裁判でそういう結論が10年以上も前に出ている。

○まとめ
 昭和22年に学校教育法が作られ、その中に安全が出てきます。設備、衛生、保健という言葉はありますが、“いじめ”という言葉は出てきません。“性行不良の生徒、授業の妨げをする生徒”という抽象的な表現はあります。性行不良の生徒、授業の妨げをする未熟な生徒たちを真人間というか普通のひとに育てるために、加害生徒を先生は、ダメ、許されないことと措置して躾けました。医者が病気を「治す為に」患部を処置するのと同じです。「処分、措置」をしない指導ではいじめは止まらない、直らない。措置を処罰と考える先生はいませんでした。真人間にしたい、その思いだけでした。
 今現在、いじめをいじめと捉えず、いじめを学校全体でなかったことにする。まさか教育者、国がいじめをなかったことにするとは、立法当時の国、行政は想像もしなかったことでしょう。
 平成18年の教育再生会議で、いじめの定義の三要件の三つ目、“相手を深刻にする”が“深刻に受け止める”に変更されました。いじめられた側として考えれば、“深刻に受け止める”は心優しい配慮のようにも受け取れます。しかし、いじめは被害者のケアだけを考えればいいのではない、加害生徒の更生も考えなければいけません。“深刻に受け止める”とすると、それは被害者の立場に立ったものになってしまいます。“相手を深刻にする”として、加害生徒の立場の要件にしていなければ、加害生徒の更生のために措置をすることが難しくなってしまうのです。加害者を措置して更生させ、真人間にしていく。それこそが教育の理念であると同時に、被害者を守ることになるはずです。
 平成18年の教育再生会議はいったい何だったのでしょうか。いじめをいじめと捉えなくなって、今まで生徒を苦しめてきたことを明らかにした、その象徴が“いじめの定義の三要件の変更”、“いじめ、暴力行為、不登校、少年非行、自殺等に対する取組の促進”です。絶対に言い逃れできない証拠を残しました。
 さらに、三要件の変更された三つ目、“深刻に受け止める”は教育現場で悪用もされています。訴え出た生徒に対して、教師が“あなたはいじめだと思うかもしれないけど、それはあなたの勘違い”と言って、余計に生徒を苦しめているのです。最終的には学校全体で“いじめはなかった”ことにされます。学校がいじめはないと言えば、加害生徒とその保護者は被害者側の言いがかりと本気で思います。何とかして我が子を救いたいとがんばればモンスターと呼ばれ、親も子も絶望のどん底に落とされます。学校に行けなくなって、大学病院に行くと適応障害という病名をつけられます。
 子どもは学校に行きたいけど、いじめを止めてくれない。怖くて学校に行けない。そこで学校は、不登校生が出ると自分たちが困るので、適応指導教室を紹介します。しかしその教室に行ってみると授業はありません。プリントを配るだけ、質問があれば臨時教師などが答えますが、通常の授業ではありません。教育とは言えません。社会に出ても、その前に高校に行こうとしても学力的についていけないことも多くなります。その数30万人。
 秀猛が自殺して15年と3ヶ月、秀猛みたいに悩み、苦しみ、この世に未練を残して自殺するひとをなくすために働いてきました。国も政府も動いてくれない絶望の中にいました。
 しかし平成21年に、公明党、共産党、民主党、社民党、自民党に協力していただきはじめ、22年5月18日には、国会で各政党、文部科学省、総務省の方々に集まっていただいて、いじめ懇談会を開きました。教育委員会やPTAや生徒たちに話す、実体験をお話しました。先生方は涙を浮かべて聞かれました。公明党の浜四津先生は、学校現場がここまでひどいとは思いませんでしたと言われ、先生方には超党派をあげてがんばりましょうと言っていただきました。民主党に具体的に行動を起こしてくださいました。阿久津先生には、文部科学委員会の首藤先生、若手の大山先生を紹介していただきました。23年、文部科学省からも力強い今後の展望をいただきました。
 日本の長い歴史を考えた時、間違いもあったでしょうが、直してきたはずです。そう考え、私は日本を信じ、一国民として私ができることをやっていきたいと思います。




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「全国いじめ被害者の会」
大澤秀明 著

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